2021年9月の星空
10日には金星と月が西の空低くならびます。16日から17日に土星が、18日に木星が相次いで月とならびます。14日には水星が東方最大離角となり夕方の西の空で観察するチャンスとなります。15日には海王星が衝となり、望遠鏡での観察のチャンスとなります。21日の満月は「中秋の名月」となり満月と中秋の名月が同一日になるのは8年ぶりとなります。またこの満月は秋分に近いことから「フル・ハーベスト・ムーン」と呼ばれ、9月の月であることから「フル・コーン・ムーン」ともよばれます。暦では7日が白露、20日が秋の彼岸の入り、23日が秋分です。
9月1日 防災の日(立春が2月4日ならば二百十日)おわら風の盆
「二百十日」は立春(2021年は2月3日)を起算日として210日(立春から209日後)にあたる日です。「雑節」のひとつでこれは日本の気候風土に合わせたもので中国からのものではありません。(雑節は日本の気候に合わせてつけられたものです。)一昨年までは9月1日にあたりましたが、今年からは立春が2月3日になりましたので閏年でなければ8月31日になります。
八朔(旧暦の八月一日、朔日:今年は9月7日)や二百二十日(今年は9月10日)とともに、農業にとって三大厄日とされていて、台風襲来の特異日ともされています。このことから大阪府の枚岡神社、奈良県の大和(おおやまと)神社(戦艦大和の艦内神社また戦艦大和はじめ坊ノ岬沖海戦の戦没者を合祀しています。)などでは「風鎮祭」が行われます。また富山県富山市八尾の「おわら風の盆」も風鎮めの行事が起源となっています。(新型コロナウィルス拡大防止のため2020年の開催は中止、2021年は未定)また1923年9月1日に発生した関東大震災(当時の暦では二百九日にあたる)とともに9月1日の「防災の日」が1960年(昭和35年)に制定されることにつながりました。
9月7日 白露
天文学では太陽の位置、黄経が165°になるとき(18:53)、また二十四節季のひとつでありその日のことを言います(この太陽の位置から定めることを「定気法」と呼びます)。秋気が進んで空気が冷たくなり、草花に朝露を結ぶころとされています。8月節でもあります。旧暦の8月は秋とされています。また「白」も「秋」の意味です。これは中国の陰陽五行説によるもので「白秋」(小説家の名前で有名ですね)と呼ばれます。これも元は中国内陸地域の気候から日本に伝わったものですから、日本の気候、感覚からずれがあります。
また白露から秋分の前日までの期間を白露と呼ぶことがあります。日本まだ残暑厳しいかもしれませんが、これから秋の気配を感じるころです。
同じ表記「白露」でも「しらつゆ」と読む場合があります(戦時中の駆逐艦「白露(しらつゆ)」など)。こちらは「露」の美称で、玉のようで白き露という意味です。こちらは暦季節との関係ではありません。
9月10日 月と金星がならぶ
9月10日、夕方西の空低く、月と金星がならびます。明るい金星と細い月のコントラストは素晴らしいものでしょう。
9月14日 水星が東方最大離角
9月14日、水星が東方最大離角となり、太陽から東にいちばん離れて見えます。夕方、西の空低くに見ることができるチャンスとなります。ちなみに前回の水星の東方最大離角は5月17日でした。
前回の5月17日は金星は低く見えませんでしたが、今回は金星も夕方西の空に宵の明星となって見えています。
西の空かなり低い位置ですが水星は太陽に近く見ることが難しい惑星です。この最大離角のときが見る貴重なチャンスなのです。
9月15日 海王星が衝
海王星がみずがめ座で「衝」の位置になり、望遠鏡での観察の好機となります(明るさ7.8等、視直径2″.4)。冥王星が準惑星となり、最遠の惑星となりました。1989年、惑星探査機ボイジャー2号が接近し、その姿が明らかになりました。
明るさも暗く望遠鏡でしか見ることはできませんが小さく青色の点のように見ることはできます。
9月16日~17日 月と土星がならぶ
夕方の南東の空~夜中の南の空で月と土星がならびます。
9月18日 月と木星がならぶ
9月18日、月と木星がならびます。図は上記土星のものです。
9月20日 秋の彼岸の入り
雑節のひとつで、春分、秋分(今年は9月23日)を中日として前後各3日をあわせた7日間のことを「彼岸」と言い、その初日を彼岸の入りと呼びます。また最後の日を彼岸の明けと呼びます。仏教に関連する言葉で、亡くなった先祖は彼岸にはこの世を訪れ、極楽浄土は西方にあることから西に沈む太陽を拝めばご利益があるともいわれます。(ですから墓参りもします。)
彼岸とはサンスクリット語のpāram(パーラム)からきていると言われ、仏教用語の「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)を語源とするといわれます。仏教では(宗派によって違うかもしれません!ここは天文台ですので!)中日に先祖に感謝し、前後のあわせて6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされているそうです。
9月20日 待宵(まつよい)
今年の中秋の名月は9月21日です。しかし中秋の名月当日だけでなく、その前から「待つ」風習もあり、それがこの待宵の月です。中秋の名月を望みつつ待つことを愛でる月とされていました。
9月21日、「中秋の名月」「芋名月」「十五夜」「名月」
9月21日は旧暦の8月15日、お月見の日です。今は暦(カレンダー)が変わりましたが、昔のカレンダーでは8月だったのです。季節は「中秋」秋の最中ということです。今のカレンダーとのずれを感じます。満月と同日になりますが8年ぶりのことでたいがいは1日ずれることが多いのです。これは月齢0の新月(朔)の日を1日としているのでずれることのほうが多いのです。もともと月を見る習慣は日本にもあったものの、中国の「中秋節」が平安時代に日本に伝わり、貴族の間で広がったものと言われています。
秋分前でいちばん近い朔(新月)の日を旧暦8月1日(朔日:新月の日)とし、数えて15日を中秋(の名月)としたので例年ですと9月になることが多いのです。
中秋の名月は「収穫祭」の意味もあり、ススキと団子を供えますが、このススキは稲穂の代わり、団子はサトイモの代わりと言われています。「芋名月」の名もこの収穫との関連と言われています。
ところで、この「月見だんご」ですが、地域によって形が違うこともあります。最近は全国展開のスーパーマーケットやコンビニエンスストアなどでどこでも見ることができますが、私は関西出身なので白だんごをこしあんで包んだものばかりでした。TVなどでは重ねただんごを見ることはありましたが、ずいぶん違うものだなと思っていました。関西(少なくとも大阪、京都では)のだんごは雲の間から見える月、もしくはサトイモのむいているようすを現したものと言われています。
中部地方、愛知県、名古屋地方では舌のような長くべろんとした月見だんごもあります。また豆の入っただんごのところもあるようです。このだんごももう一つの主役で、曇って月が見えなくても「無月」、雨が降って見えなくても「雨月」と言ってやはりお月見を楽しんだそうです。これは昔の歓楽街(遊郭)ではお月見を盛大に行っていたそうで、いわば稼ぎ時でもあったからです。春の「お花見」とともに自然の風景や眺めと一緒に美味しいものを飲み食いして楽しむ、昔からの日本の文化風習ということでもあるのです。
9月21日の満月(Full Moon)今年は「Full Harvest Moon(フル・ハーベスト・ムーン)」!
「Full Harvest Moon(フル・ハーベスト・ムーン)」,「Full Corn Moon(フル・コーン・ムーン)」,「Full Barley Moon(フル・バーレイ・ムーン)」
「Full Harvest Moon(フル・ハーベスト・ムーン)」
北米ネイティブ・アメリカンでは「秋分(Autumnal equinox)」に近い満月を「Full Harvest Moon(フル・ハーベスト・ムーン)」「収穫月」と呼ばれます。秋分の農作物の収穫の時期だからです。秋分の日が今年は9月23日で、かならず9月になるわけではなく、この「Harvest Moon」は10月になることもあります。今年はこの9月の満月が「フル・ハーベスト・ムーン」となります。この満月のころには月明りのおかげで遅くまで収穫作業をすることができます。月が昇るのも北米やヨーロッパでは日没後10~20分後ですから夕方の薄明後も収穫作業時間をあたえてくれる月明りは重要です。北米やヨーロッパでは、トウモロコシ、カボチャ、豆。インドでは野生の米の収穫に重要な役割をしていたそうです。
「Full Corn Moon(フル・コーン・ムーン)」
これはネイティブ・アメリカンではトウモロコシの収穫の月だからです。9月の月はこの名前で呼ばれます。
「Full Barley Moon(フル・バーレイ・ムーン)」
これはもネイティブアメリカンでの名前です。先月の「Barlry Moon」は英国での呼び名でしたが、こちらは北米での大麦(Barlry)の収穫の時期ということでこの名前が伝えられているようです。
9月23日 秋分(秋分日、秋分の日)
天文学では太陽の位置、黄経が180°になるとき(4:21)、また二十四節季のひとつでありその日のことを「秋分日」と言います(この太陽の位置から定めることを「定気法」と呼びます)。旧暦8月内でもあります。旧暦では7月から9月を秋としていました。これは中国から伝わったものですから日本では気候でも感覚でもずれがあります。今の日本ではやっと秋の気配が感じられる頃になり、まだ暑い日もある季節ですね。
日本では「秋分の日」として国民の祝日となります。この日が休日とされたのは1878年(明治11年)からで「秋季皇霊祭」という祝日でした。つまり天皇、皇族の祖霊を祭る日とされていました。「秋分の日」となったのは1948年(昭和23年)に公布・施行された国民の祝日に関する法律(「祝日法」、昭和23年法律第178号)からです。この法律では、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」ことをその趣旨としています。また、祝日法上ではその日を「秋分日」としており、日付を指定していません。
国民の祝日としての秋分の日は、国立天文台が発行する「暦象年表」という小冊子に基づき、定気法によって算出した「秋分日」を基にして、前年の2月第1平日付の官報の公告(特殊法人等)欄で暦要項として公告されます。この暦要項は、閣議決定等はされず、閣議報告事項でもありません。ですから「秋分の日」は天文学によって定められているとも言えます。(春分の日も同様です。)このように天文学によってなされる国民の祝日は世界的に見ても非常に珍しいものです。
秋分日には、太陽は真東から昇って真西に沈みます。また北極点(もしくは南極点)で見ると、秋分の太陽は地平線と重なってまわり、昇ることも沈むこともなくぐるっと一周します。また昼と夜の時間が「ほぼ」同じにはなるのですが、実際は平均すると約14分昼のほうが長くなります。これは大気による屈折のため実際より太陽が上に見える(大気差)ことや、月没が月の中心が没することと違い、日の出、日の入りは太陽の上端が地平線と一致した時刻を日出または日没と定義しているため、太陽の視直径の半分、日出が早く、日没が遅くなることなどがその理由です。
9月26日 台風襲来の日
これは天文ではなく気象ですが台風襲来により歴史上大きな被害が出た日です。
1959年(昭和34年)9月26日 伊勢湾台風
紀伊半島から東海地方を中心に台風15号(のちに「伊勢湾台風」と命名)が高潮などにより甚大な被害を出し、犠牲者5,098人(死者4,697人、行方不明者401人)という明治以降、台風としては最悪の大惨事となりました。これにより各地の河川で治水工事が進められ多数のダムが建設されることになりました。それと合わせて「富士山レーダー(現在は退役)」、「気象観測衛星」の配備など、台風、気象観測が大きく進むことにもつながりました。また大きな被害を受けた近鉄名古屋線は軌道幅を大阪線と同じ幅に(改軌)されることが進められ大阪ー名古屋間が直通運転され「名阪特急」が誕生することにもつながりました。
1958年(昭和33年)9月26日 狩野川台風
台風22号(のちに「狩野川台風」と命名)が伊豆半島に接近し、伊豆半島から関東地方、特に特に伊豆半島狩野川流域での水害により甚大な被害を出しました。死者・行方不明者数:1,269人。その多くが狩野川の鉄砲水によるもので、避難所もろとも水に飲まれるところもありました。この災害により1965年7月に狩野川放水路が規模を拡張され完成することになりました。
1954年(昭和29年)9月26日 洞爺丸沈没事故(洞爺丸台風)
日本国有鉄道(国鉄)の青函連絡船「洞爺丸」が台風15号(のちに「洞爺丸台風」と命名)により沈没し、死者・行方不明者あわせて1155人にものぼる大惨事となりました。同じく貨物の青函連絡船、北見丸、日高丸、十勝丸、第十一青函丸も沈没し、合わせた犠牲者は1,430人(生存者202人)にも上りました。これにより「青函トンネル」の着工が早期に求められ、完成することになりました。
1935年(昭和10年)9月26日 第四艦隊事件
海軍大演習のため、臨時に編成された大日本帝国海軍「第四艦隊」が岩手県沖で台風に遭遇し、当時最新鋭の吹雪型駆逐艦2隻(初雪、夕霧)が波浪により艦橋から前の艦首切断、その他艦艇も多数被害を出しました。これにより軍縮条約下で軽量化を図った海軍艦船全体の船体の脆弱性が判明し、改修工事が行われることになりました。
9月の情報(満月の詳細は上記)
5日前後 有明の月(Waning Crescent Moon)
7日 新月.朔(New Moon)
8日 二日月(Paper Moon)(暦ではこうなります)
9日 三日月(Waxing Crescent Moon)
14日 上弦(First Quarter Moon)
19日 十三夜(Waxing Gibbous Moon)
21日 満月(Full Moon),望(Full Buck Moon)
22日 十六夜
23日 立待月
24日 居待月
25日 寝待月
26日 更待月
29日 下弦