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創られた星の名前・・・スピカは「真珠星」

今日梅雨入りの発表がありましたねぇ・・・星空が遠くなります。そんなときは星にまつわるお話でもと思いちょっと書いてみました。

2018年6月5日、午後10時、木星が南の空に明るく輝いています。今は木星のほうが明るく目立っていますが、その近くに「アークトゥルス」「スピカ」ふたつの星が輝いています。このふたつの星は「恒星(こうせい)」つまり私たちの昼間の「太陽」と同じ、自ら光を出している天体で「星座」をつくる星です。もうひとつしし座の「デネボラ」とつないでできるのが春の大三角です。デネボラが「1等星」ではなく2等星なのでちょっと地味に感じるかもしれません。

このうち「スピカ」は「お誕生日の星座」、黄道十二星座のひとつ「おとめ座」の星で「おとめ座アルファ」とも呼ばれます。おとめ座生まれの方!このスピカがあるあたりが「おとめ座」です!「スピカ(Spica)」はギリシャ語で「尖ったもの」という意味があり、おとめ座が持っている「麦の穂先」にあたることから「穂先」という意味になっています。英語読みでは「スパイカ」、「スパイク(Spike)」の語源にもなっています。ギリシャ神話の農業の女神、デーメーテールもしくはその娘ペルセポネーの持つ麦の穂先にあります。

「アークトゥルス(Arcturus)」は「アルクトゥルス」とも呼ばれ、これは日本語に読むときの表記の違いで、どちらも間違いではありません。「うしかい座のアルファ星」でもあります。このArcturus、Spicaは国際天文学連合でも承認されている固有名ですが、これとは別に世界の地域ごとに星の名前や星座があります。代表的なものがこと座の「ベガ」これは「織姫星(おりひめぼし)」やわし座の「アルタイル」、「彦星(ひこぼし)」です。これらは和名(わみょう)と呼ばれますが、日本共通というわけではなく、地域によって違いがあります。アークトゥルスも「麦星(ムギボシ)」と呼ばれている地域があり、日本で伝承される星の名前では有名な野尻 抱影氏の「日本の星」によれば、愛媛、静岡、岡山、私の聞くところでは関西地域では広く、奈良、そして私の近く大阪南部でもやはり、麦の収穫のときに高く見える星として知られていたそうです。プラネタリウムではあまり「ムギボシ」という名前の紹介まではあまり聞きません。私は地域が東海~西日本地域のプラネタリウム解説が多いので「よく言います!」そして「珊瑚星」という名前もあるのですが、これは話す事はほとんどありません。(後述します。)

ところが『「スピカ」はおとめ座でひときわ白く美しく、日本でも「真珠星」と昔から呼ばれ・・・』という解説はプラネタリウムでよく聞きます。実は私はこれに昔から『違和感』を感じており、自分の解説ではほとんど「言わない」のです。(お客様から質問がきたときは話します。)それは昔、祖父から聞いた話があったからです。

ぬぐえなかった「違和感」

この違和感(ときには間違い!とされることもあるようです)は、「日本」「昔」と「呼ばれ」の部分です。

これは後に野尻氏の書籍から解決されるのですが、野尻氏の『日本星名辞典』『星の話』など著書から第二次世界大戦、太平洋戦争末期に、外国語使用禁止令により織姫星や彦星のように明確な和名がなかったスピカとアークトゥルスに和名をつけるよう「海軍航空隊」から依頼された野尻氏が「真珠星」と名づけ、京都帝国大学教授としても有名な山本一清氏も『それなら赤いアークトゥルス「珊瑚星」とすれば一対になる』いうことで同意されたということなのです。

つまり「日本」広くではなく海軍の天測(星を元に自分の航空機や艦船の位置を測定すること)のために、「昔」と言っても昔話のような古くではなく、太平洋戦争末期に「呼ばれた」のではなくつけられた名前であるということなのです。この話は最近日本プラネタリウム協議会のメールのやりとりでも、「真珠星」を普通に昔から広く日本で言われていたように紹介していたことが話題になりました。

封印してきた祖父の話

ところが、それでもなお私の違和感はぬぐえきれなかったのです。それはなぜ「太平洋戦争末期に」「真珠星と珊瑚星なら対になる」かなのです。英語が太平戦争中に「敵性語」とされてきたのは確かです。それは昭和14年ごろから16年ごろに、英語を日本語に読み替えていった戦争にかかわる当時の情勢があったことは知られています。しかし、海軍では文書のうえでは日本語にしていましたが、通常使うときにはフランス語や英語を使うことは許されていました。星の名前も天文航法、天測では英名のままで使っていたそうです。日本はもともと海軍はフランス式を取り入れていたそうです。

なぜそんなことを知っているのか?というのは祖父からの星の話です。私は母方の祖父母に育てられ、天文のことを支えてくれたのも祖父母でした。しかし、少年時代は戦争関連のものは「タブー」とされてきました。最近は「艦隊これくしょん」や「アズールレーン」など、戦争や海軍を取り扱っているゲームやアニメなどが受け入れられていますが、当時は「空母の話」などしようものなら「戦争賛美するのか!」という時勢だったのです。(ちなみに私が初めて、小学生のころ作ったプラモデルは当時流行りの自動車ではなく難易度の高い空母「赤城」でした。)「日本は侵略をした悪い国だ」というのが学校の教えであった時代です。

祖父は旧海軍の調理師でありましたが、無口な人でした。ただ科学や大工仕事など好奇心が強い人でした。星の名前や艦船のこと、昔のことについて聞いたことには断片的にですが話してくれていました。しかし、それは当時の情勢では他に話すことができない「タブー」としてきました。今とはかなり世論が違っていたのです。

今になってやっと当時の話、覚えていることが言えるなあ・・・そのひとつがスピカ「真珠星」とアークトゥルス「珊瑚星」にまつわるこれからの話です。

戦争末期になってつくられた「真珠星」と「珊瑚星」

なぜ戦争末期になって?

ではなぜ海軍航空隊が、戦争末期になって「星に和名」をということになったのか。その理由は祖父から聞いていた海軍の状況から容易に察しがつきます。それは、熟練のパイロットたちが戦死してしまい、新兵、特に「予科練」と呼ばれる若いパイロットにとって敵性語に抵抗があったからです。それまで敵性語とされた言葉をつかっていいのかという状況があったそうです。

「真珠星」と「珊瑚星」・・・和名が太平洋戦争末期に必要とされた理由は戦争によるものという以上に、若い未熟なパイロットでも早急に戦場に出さなければならない・・・いかに状況が逼迫していたかというたいへん重い意味があるのです。

なぜ「真珠星」と「珊瑚星」が一対になるのか

スピカは野尻氏の書籍でも「シンジボシ」という限られた地域の呼び名の推定もあるので、音が近い「真珠星」?またはアークトゥルスと高低ならんで赤と白で「メオトボシ」という呼び名もあるので白い・・・?。では望遠鏡でみてみましょう。6月4日向けて見ました。

白・・・青白いですね。「青真珠星」と言う方がピッタリなような・・・・ではアークトゥルスも見てみましょう。

こちらは「0等星」ひときわ明るいです。ホワイトバランスをできるだけ肉眼で近いように「太陽光」にしたのですが肉眼でもこんな感じ、そうです赤い星として知られる「アンタレス」や「ベテルギウス」ほど赤くはなく「オレンジ色」ですね。ならべてみると「赤いほうと白いほう」と言えなくもないですが、ちょっと苦しいような・・・むしろ「ムギボシ」「ムギカリボシ」の方が東海、西日本、四国などわりと広く知られているならそのまま「ムギボシ」でもいいのでは?

ではなぜムギボシを「すてて」まで「珊瑚」をとったのか?「真珠」と「珊瑚」が対になるのか?確かに両方とも海でとれる宝物として扱われるもの、美しいものですが「対になる」ものとは扱われることが少ないように思いませんか?

しかし「真珠」「珊瑚」にプラスして「太平洋戦争」「海軍」としてはどうでしょう?Googleなどで検索すれば明白になってきます「美しいもの」ではないのです・・・・

「真珠湾攻撃」と「珊瑚海海戦」

ウィキペディアより

ともに「大本営発表」として、当時の日本では大日本帝国海軍としても、海軍航空隊としても「大勝利」であると戦意高揚のために宣伝された戦いです。「真珠湾攻撃」についてはもう有名で、日本の空母、航空母艦と海軍航空隊がハワイ、オアフ島の真珠湾(パールハーバー)を奇襲攻撃し、ほぼ一方的に「米海軍を叩きのめした」太平洋戦争開戦となったことで知られています。そして「珊瑚海海戦」も日本も被害はあったが、それ以上にアメリカの大型空母を2隻撃沈し(実際は1隻)、アメリカの航空部隊を一掃した大勝利であると大きく宣伝した戦いでした。

そう、宝物としての【美しい】「真珠」、「珊瑚」ではなく太平洋戦争末期、日本の敗色が濃くなり、戦意高揚という意味を持たせる目的で、2大勝利としての「真珠湾攻撃」「珊瑚海海戦」は「一対になる」いや、なっていたのです。当時戦場になっていた「珊瑚海」からとったという記述も野尻氏も書いてらっしゃいます。真珠星も真珠色というややクリーム色がかったあの色ほどではないが、「珊瑚(海海戦)」と対にするなら「真珠(湾攻撃)」となってしまった・・・

祖父からは「ムギボシ」という名前とこの経緯とともに、この名前が話題になったときに一人の有名な指揮官の方(名前は伏せさせていただきます)が「珊瑚星?・・・あんご(広島弁で「アホ」のことです)星じゃが?」と言っていたのを聞いていたそうです。その方は珊瑚海海戦にも参戦され、実際には日本側も大損害があり、敵も撃破したがこちらの航空隊も、陸戦もむしろ失敗であったと思っていらしたそうです。「真珠湾攻撃も空母を沈められなかったのは失敗」これは先史通ではない私でもよく聞きますし、祖父からも最後の連合艦隊指令長官であった小沢治三郎氏(こちらは言葉とともにその名も広く知られているようですので)が言っていたこととして聞いていました。それ以前に敵味方問わずたいへんな死傷者が出たことは消せない歴史です。それが美しい星の名前とされた・・・

星を学ぶならすべてを学べ!

星の名前に戦場の名前がつけられ、しかもそれが長らく美しい星に伝えられた名前のように語られている・・・そのことに私はずっと「違和感」を感じていました。戦争は確かにおきてほしくないことです。ですがタブーとして、「言葉」を封印することが結果としてプラネタリウムという夢とロマンあふれる場に、間違った文化を残してしまったのかな・・・そう考えるとちょっと気が重くなります。ですが、逆に今はそんな意見や史実を話しても許されるいい時代、それこそほんとうの意味で「平和」な時代になったのかな?と思います。

逆に星の名前にそんな歴史が刻まれている。それを伝えることも大切なことではないか?そう改めて考えることができました。プラネタリウムの解説者はわりと「横のつながり」があり、お互い助け合っていることが多いのです。今回のことでもメールという媒体を通して話すことで「心のおもり」がひとつ軽くなったように感じました。梅雨の時期、プラネタリウムという雨でも星空が見えるところにちょっと出かけてみませんか?

プラネタリウム解説で指導いただいた大先輩から以前このような言葉を教えられました。「君は天文、宇宙を学ぶのだろう?ならばこの世の中のものすべてが宇宙だ、我々もそのまわりもすべて宇宙の一部だ。天体そのものだけでなく、この世の中のあらゆるものを学んでゆく、その覚悟でずっと学んでいきなさい。」

それから30年以上、やっとその言葉の意味が理解でき、言えるようになったなぁ・・・と思います。